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  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年9月29日№125-39「夢を見る人を憎んだ兄たちの苦悶」     創世記37章2節~28節(P.63~65)

 ヤコブとエソウの葛藤の物語に続き、ヨセフ物語が始まる。

 神がヤコブにイスラエルという名を与え、その名はやがて民族の名にまでなる。ということは、このヤコブこそ、イスラエルの租として固有な特別なアイデンティティーの原型だということになろう。

 神とイスラエルの特別な関係は、「神の選びの恵み豊かさ」を示している。人間としていかに罪深い者であっても、神が選んだ者への約束は決して撤回されないのだ。それどころか、イスラエル(ヤコブ)もその子孫も心の奥底に暗黒面を持ち続け、生涯をかけて、その罪深さを抱え込みつつ赦しの時を待ち続けねばならない。ヨセフ物語もまた、自らの罪深さを抱え込みつつ、その罪ゆえにこそ、人格が神の試練とともに、洗い流され、醜悪な邪心に支配されていた人格が、高潔な砕けた魂へと彫琢されてゆく人格成熟の過程を描くことになる。

 父ヤコブの家庭は複雑だ。最愛の妻ラケルの他にラケルの姉妹レアがいた。それだけでなくラケルとレア、それぞれの召使いをもまた側女としたので、12人もの息子たちがいた。この12人はそれぞれ部族をなすことになるが、わけてもラケルの子、ヨセフとベニヤミンへの父ヤコブへの愛は傍目からみて特別であった。それゆえヨセフ物語は父の愛をめぐり息子たちの愛と憎しみが錯綜する物語となったのである。兄弟同士の葛藤の歴史、すでにカインとアベルに始まり、アブラハムの息子たち、イサクとイシマエル、イサクの息子たち、エソウとヤコブの間にもあった。この「父の愛を兄弟間で奪い合う」という主題は、イスラエルの歴史、人類の歴史に通底する「戦争と平和の問題」へとはるかに繋がってゆく。

 ヤコブの家庭の複雑さは正妻と側女の子同志の葛藤としても深刻であったであろうし、さらにレア長男ルベンは父の側女ビルハと密通してもいた。ただ腹違いの兄弟というだけの関係だけではなく、不道徳さも混在していた。罪深い人間たちの集まりだったのである。

 父ヤコブは偏愛が激しく、「年寄り子」のヨセフ(のちにはベニヤミンも)への偏愛ぶりは傍目にも明らかであったので、兄たちは彼を憎み会話すらできないほどであった ヨセフはそれに輪をかけて兄たちの逆鱗に触れるような「夢」をとくとくと語る。その夢は正夢なのであるが、この時点で、それを語ることは兄たちの怒りの頂点を超えさせるに十分だった。こうして憎悪は殺意へと膨らんでいった。

 ヨセフは、兄たちの殺意を浴びて、危うく殺されかけるが、ルベンとユダの躊躇いによって、一命は取り留めることになったが、ミディアン人の商人の手をへてイシュマエル人の隊商に銀20枚で売られてしまう。兄たちは、弟を放り込んだ穴にヨセフがいないので、獣に食い殺されたと父ヤコブに思い込ませた。

 父の悲しみは慰めを拒絶するほど深い。

 ヨセフはエジプトで、宮廷の侍従長ポティファルに買われ、奴隷となった。信頼されて、財産管理まで任せられるまでになるが、ポティファルの妻の誘惑を拒んだため、逆恨みされ、監獄送りとなる。しかし、監獄で夢解きをして解放される。そしてついにはファラオの夢を解いて、エジプトを飢饉から救うに至った。王の信任を得て、宰相の地位にまで上り詰める。他方父や兄弟の住むカナンは飢饉のために窮乏し、食糧を求めてエジプトまで旅をしてきた。そこで、兄たちとヨセフは再会することになるが、兄たちは目前のエジプトの高官がヨセフとは気づくかない。

 ヨセフは気づかぬ兄たちに食糧を都合して返すが、そこで策略を用いて、弟ベニヤミンを人質に要求するのだった。兄たちはかつて、弟ヨセフにした仕打ちを忘れてはおらず、父の悲しみをの深刻さを知った兄たちは自分たちの罪深さをずっと背負って生きてきたために、このうえさらに、最愛の妻ラケルの最年少のベニヤミンをも父から引き離すことは到底できなくなっていた。兄たちはヨセフにした仕打ち・罪に深く苦しみ悶え、連帯共同して悔いている。魂が清められている証拠であった。ここで初めてヨセフと兄たちは和解の再会をするのだった。

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