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  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年10月27日 №125-43

 「福音の希望から離れてはならない」  

                    コロサイ1:15~20(P.368~369)

 コロサイ書1章には御子による天地万物の創造についての信仰が告白されています。

 御子なる神、主イエス・キリストがありとあらゆるものを創造されたという信仰です。

この御子による世界創造を真実の意味で信じるということが大切です。

 この信仰に堅く立つこと、教会生活を、丁寧に生きるということは、この信仰に堅く立つことによって、守られるでしょう。

 わたしたちの中で、曖昧にされていないでしょうか。人が神になるという「ものの考え方」に、鈍感になってはいないでしょうか。

 人間はいつ、どのようにすれば、神のような人格者になれるというのでしょうか。罪人が罪の贖いなしに、どうして罪なき存在に変わるというのでしょうか。

 すべての被造物としての人間は、被造物という存在から、どのようにしたら、創造者と同一の存在になれるというのでしょうか。

 なれません。

 被造者はどこまで行っても被造者であります。創造者にはなれないのです。だから被造者にすぎない人間が神のような存在になれるというあらゆる信仰体系、宗教観念は、人間の神になろうとする願望の産物、幻想にすぎません。

 即位礼正殿の儀が先週行われました。

 大嘗祭という純粋な意味で、宗教的な儀礼に他ならない儀式が国民に開示されました。大嘗祭は、宗教的な儀礼であり、天皇候補者が神と合一することによって現人神となるという儀式です。

 しかし、どんな人間も天地創造のまことの神によって創られた被造存在です。また罪をもって生まれてきています。天皇家の人びともわたくしどもとまったく同じように罪人です。被造者にすぎない人間、罪人にすぎない人間が、神のようになれるという思想は、わたくしたちの拠って立つ信仰告白においては、単なる「幻想」にすぎません。

 御子なる神、主イエス・キリストは、創造者なる父なるまことの神とはじめから一なる方であって、「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。」(16節)

 主イエスは、まことの神にして、まことの人です。

 「神の形」「神の姿」「先在の主」と表現されていますが、これらは創造者なる父なる神と一なるお方という三一なる神を言い表そうとする努力が生み出した表象です。御子なる主イエス・キリストは、父なる創造者なる神と一なるお方でありたもうのです。

 人が神となったというお方ではありません。神が人となりたもうたお方です。

 明確に信仰対象が三一なるまことの神であるということが,ニカイア信条で確認されました。

 古代教会において、アリウス派の異端(イエスは被造物という)が広範に流布していました。

「また我らは、主イエス・キリスト、神の御子、御父よりただ独り生まれたるもの、神より出でたる神、光より出でたる光、真の神より出でたる真の神、造られず、聖父と同質なる御方を信ずる。その主によって、万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成り、また主は、我ら人間のため、我らの救のために降り、肉をとり、人となり、苦しみ、三日目に甦えり、天に昇り、生きている者と死んでいる者とを審くために来たり給うのである。」 ニカイア信条から

現代にも、アリウス主義が多く存在します。だからこそ、わたくしたちは、ニカイア信条で確認されている「『子』(子なる神、ロゴス、イエス・キリスト)は完全に永遠に神である。」という告白を、「規範的な告白」として、この告白に堅く立つことが、信仰生活にあって、きわめて大切になるのです。

 この告白に堅く立つことから、わたしたちの日々の信仰は、教会生活は、主イエス・キリストの限りのない恵みから離れることなく守られることになるでしょう。


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