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  • 日本基督教団 仙台東教会

風媒花通信 2019年12月号

『仙台二十人町教会の想い出』 横山義正

考えてみれば私の運命はすべて神さまの思いのままであったと思う。明治四二年生まれの父は祖父により東北学院中学校に入学させられた。当時のシュネーダー院長の強い感化を受け、自分の子どもたちも学院に行かせたいと思っていた。

 また私が子どもの頃父に背負われた時、父はいつもこんな賛美歌を口ずさんでいた。「神の御子のイエスさまは、笑いたもう安らけく・・・・」 昔のクリスマス賛美歌464(一九三一年版)。

 私が高校二年の時、学院の朝礼拝に宣教百年を記念し、スタンレー・ジョーンズ宣教師が派遣されました。彼の説教の最後に、「今日、わたしの話を聴いて教会に行ってみようと思った方は名前を書いてください。」と生徒全員にメモが渡された。どこの教会に行けばいいのか判断できなかったので、クラス前席の柳一男君という遊び友だちに聞いてみた。「俺の教会に来ないか。仙台二十人町教会というんだ。仙石線仙台駅に近いぞ。」それを聞いた右隣席の佐々木竜二君が「俺も行っていいか}と聞いてきた。

 次週に三人で出かけることにした。尖塔のある白いモルタルの古い教会だった。教会に入ると高校生会があり、「黎明会」と称し三十名ほどの大きな組織で大歓迎された。会長は遠藤富子宮城学院三年、副会長は北岡威東北高校三年であった。彼は宮城県の槍投げのチャンピオンだった。彼とは共通の話題が多く、黎明会も居心地が良くなってきた。高校二年のとき、横浜で開催された第十回国体に一緒に参加したことを覚えている。また、宮城県の競技会に教会の女子生徒も来てくれ応援も華やかなものになってきた。

 高校三年になり、仲間の柳君は医師不足を解消したいと弘前大の医学部を目指し、佐々木君は神学者を目指して、国際基督教大学進学を考えていた。彼はその後、東大の宗教学に進んで行った。一方体育教師を目指した私は、日体大の推薦入学が許可されており、受験勉強とは無縁だった。しかし、「ちょっと、安易過ぎるルート選択だ」と親に叱られ、方向転換し東北大の医学部を目指して受験勉強を始めた。すでに高校三年の秋だった。

 その頃、二十人町教会の日曜学校は、保育園保母と東北大ガラス研究所(ガラ研)の学生の協力で運営されていた。その年(昭和三十三年)、学生たちが卒業し就職のため仙台を離れてしまうので、牧師は焦って私に、「何とか手伝ってくれないか」と依頼してきた。「まだ洗礼も受けてないし、浪人中なので勉強もやらなきゃというのに。」結局。承諾してしまった。次の年、昭和三十四年十二月二十五日竹林牧師から洗礼を授けられた。なお、竹林牧師が授けた最後の受洗者は氏家健一兄で、その後半世紀に渡るつき合いとなる尊敬する兄貴分であった。彼とは、日曜学校の生徒を増やすにはどうしたらいいかいつも話しあっていた。二十人町の地域の親と子どもたちと親しくなるため、どんな繋がりが必要かと考えた結果、週一回の無料の勉強会をやろうと決めた。そこに集まった地域の子どもたちがやがて日曜学校中核になっていった。

 またそれを支えた学生たちがやがて五城保育園を支えることになる。

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