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  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年10月6日№125-40「悪の根」 1テモテ 6章1節

 「悪の根」は金銭欲だという。しかるに、人間の歴史は、金銭欲を動機として紡がれてきたことは誰も否定できまい。テモテ書はここで「奴隷制」に言及している。原始基督教時代もまた奴隷制が存在していた。当時は現代に比べると、当然のように奴隷制が前提されていた。ただし、現代世界が奴隷制を完全に克服しているかとなると、その問いには、いまだ「否」と答えねばならない。

 大航海時代、人は金銭欲にかられて人を家畜同様に売買することに,多くの人が良心の痛みを感じなかった。名曲『アメイジング・グレイス』を作詞した牧師ジョン・ニュートンは奴隷貿易で冨を得ていた「奴隷商人」だった。彼の内面において、家畜以下に扱っていた奴隷に、自分と同様に人格的尊厳を感じるように変えられるまで、長い年月が必要であった。彼が真実な改悛を経験して、内面が神の恩寵によって変えられるに従って、彼は奴隷貿易を続けることができなくなり、ついには献身して牧師となる。

 一個の人間においても、同じ神によって創造された他者を、自分自身と同等の価値を見いだし、その尊厳に畏敬の感情をもつにいたる人格変容に至るには、聖霊の絶えざる導きにより、幾重にも改悛の経験が必要だったのである。

 人の歴史過程においても、「人権」概念が、共有化されるに至るには、数千年もの神の導きが必要であったといえよう。

 テモテ書は奴隷制が当たり前の時代の古代人の書簡である。そこには奴隷がその「主人」に対して、どのような思いをもつべきかが説かれる。そのような勧めを奴隷制を克服すべきことが明らかになっている現代、字句通りに受けとめることは不可能だ。又、ここに語られる「奴隷と主人」を、「会社の社長と社員」と読み替えたり、政治上の「首長と市民」に読み替えることも不適切である。ここで語られているには、普遍的な倫理などではなく、歴史的に固有な状況での教会内の個別の指導案なのだ。

 テモテ書は、信仰の道は「信仰の戦い」だと云う。

 この道にはさまざまな「誘惑」「罠」「無分別」が待ち構えており、「金銭欲」という「悪の根」と訣別しないかぎりは、「迷い出て」、「ひどい苦しみに突き刺される」と戒める。

  異なる教え(「異端」)は、「信心を利得の道」と説くので、悪の果実を結ぶ。それとは逆に、一切無所有の境地こそ、「大いなる利得」だと云うのだ。

 神によって召された者は、公的に信仰を告白したのであるから(「多くの証人の前で信仰を表明したのであるから」)、テモテ書著者は使徒として、教会は、信徒一人ひとりに、キリスト・イエスの御前で、命令を与えると宣言した。

 すなわち、「異端」の教えを避けて、「正義」「信心」「信仰」「愛」「忍耐」「柔和」を追い求めよと。「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れよと。

信仰の道は「利得の道」ではないが、「信仰の道は大いなる利得の道」なのだ。「大いなる利得の道」とは、「満ち足りることを知る道」であり、「食べるものと着る物さえあれば満足する道」であり、一切の所有から自由にされる道なのだという。

 人が人を所有し、財産として売り買いできてしまうという奴隷制は、ここで使徒が説いいている「信仰の道」を自己自身の「悪の根」と不断に戦いつつ歩むとしたら、消え去るべき「人のあり方」となってゆくであろう。

 だから、聖書の教えは、二千年前に、奴隷制を自ずから克服する内的力を内蔵していたと言えるのだ。その内実が人類史を変えてゆくにはなお数千年を要するかもしれないが、その日がやがて来る。主の来臨の時にその内実が成就する。その日の来ることを信じて前進して行くこと、これがキリスト者の人生だ。

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