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2019年11月10日 №125-45

  「行き先を知らずして」

創世記12章1節~9節(P.15~16)

 アブラハムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三教の源流に、信仰の祖として世界で最も多くの人に記憶され、尊崇されている。

 しかし、クルアーンには、「さて、お前たち(ムスリム)、信仰なき者どもといざ合戦という時は、彼らの首を切り落せ。そして向うを散々殺したら、(生き残った者を捕虜として)枷かたく縛りつけよ。」(47章4節)とあり、字義通りに解すれば、一概に兄姉弟関係にあるとはいえ、三教帰一等という事は安易には言えない。事実歴史的に人類は幾多の争いを経験してきたのである。

 だからとて、共通の租アブラハムのもとに信仰の原点を常に見いだそうとしているわたしたちが、互いにきょうだいとして尊敬いあい、愛し合い、絆を深めてゆく不断の努力を諦めてよい訳がない。

  アブラハムは神のみ声を聴いて、従った。彼は故郷のカルデアのウルを出発した。その時、彼は予め行き先を神さまから知らされてはいなかった。行き先を知らずして出発したのである。この行動の原動力は一体どこから来たのだろうか。彼は族長として大勢の家族と家令らを伴っていた。大規模な集団的移動だったから、彼の指導的権威が圧倒的な力を有していて、一族郎党に有無を言わさぬものがあったとはいえ、おそらくはかなりの抵抗もあったのではないか。「神のみ声を聴いた」というアブラハムの説明を素直に彼らは受け入れたのであろうか。「行き先を知らずに、どこへ行くというのか。」このような不信感,抵抗があっても不思議ではない。

 つまり、「行き先を知らずして旅立つ」という信仰の行為は、独りアブラハム一個人の次元を遙かに超えた共同体の決断であった。共同体はあの不審を克服してアブラハムの示した信仰の道を信じたからである。

 アブラハムが切り開いた信仰の道は、既知の世界の延長線には存在しない。未知の道であった。ただ「神が示す」方向へと、日々が未知の決断の連続であった。人生の経験知を最大限働かせたとしても、何の役にも立たない。未知の世界で、その都度、神が示して下さるという確信だけが、彼を次の行動へと向かわせる。従いゆくアブラハム共同体は、ただ彼が信ずる神の声に従うという彼に信頼する他はない。共同体自体が彼の決断一つに命運を委ねる他はない。

 アブラハム共同体が信じた「神」とは、アブラハムを呼んだ「神」だった。目には見えない。アブラハムに約束を賜った神。この唯一まことの神を彼らは信じた。アブラハムは神への信仰の原点を示し、アブラハム共同体は、アブラハムが示した原点に信頼した。分裂した三教は、ただひたすらこの原点へと回帰すべきではなかろうか。

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