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2019年11月3日 №125-44

「神のようになろうとする罪」

創世記3章1節~15節(P.3~4)

わたしたちは、これまで創立124周年記念礼拝から、われら日本での宣教を振り返り、長崎の「信徒発見」から、わずか30年足らず、又、「浦上四番崩れ」という大迫害から20数年しか時を隔たずして、東北に種蒔かれた神の言葉が「クリスチャン教会」の群れ、さらに合同して「組合教会」へ、そして「日本基督教団仙台東教会」と変遷しつつ結実した「神の民」であることを確認してきた。

 そして、わたしたちの信仰告白は、ニカイア公会議で確認されたニカイア信条から連綿として継承されてきた使徒的教会に連なる「聖徒交わり」であることを確認し、キリスト・イエスは人が神となった方なのではなく、神が人となりたもうたまことの神にして、まことの人なるお方であり、その本質において父なる神と同質であられるお方であるを告白する。

 世を惑わす諸霊の業が、頻出する現代の霊的な状況のなかで、キリストの肢体なる教会こそは、この規範的な信仰告白に堅く立って、偽りの霊を鋭く、徹して洞察し抜いて、キリストの神殿であるべき信徒の群れを守らねばならないという使命を、私どもは担っている。

 創世記の堕罪の物語は、人間の罪の根源について、他に比類ない明晰さをもって、それを「神になろうとする欲望」と喝破している。

 人はどこまでも人にすぎず、決して神ではない。神は創造者でありたまい、人は被造者にすぎない。被造者は決して創造者ではないのだ。この規(き)矩(く)準(じゆん)縄(じよう)(物事や行為の標準・基準になるもののこと。手本。きまり。)を破壊しようとする邪悪な欲望を、聖書記述者は、「原罪」として表象した。この物語に登場する「蛇」は、神と人との間に密やかに割って入り、神と人との関係を分断しようとする。彼の目的は明解だった。神と人との関係を断ち切りたいのだ。そのような役割を「蛇」は演じている。彼は神についての蘊蓄(うんちく)をもって、人を籠絡(ろうらく)しようとしている。彼はまず「神の言葉」を確認する。人が正確に神の言葉を認識しているかを試す。そして次に彼は「神の言葉」を否定する。大胆にも彼は人の認知の中での「神の言葉」を塗りかえ、別の言葉に上書きしようとする。サタンの手口の典型的手法がこの「上書き」という手法に他ならない。「死ぬことはないでしょう」と。こうして「蛇=サタン」は、神の言葉を否定する。そして、人に「神のようになれる」という幻想を語り、人の魂に、「神のようになりたい」という欲望を植えつけた。神の被造物である人は、神さまによって「神の似姿」として創造されたがゆえに、そもそも人は神によってその尊厳を付与された被造者だから、神のようにということは、神の似姿として神の栄光を反射し、栄光をすべて神に帰してゆくという光栄を受ける立場にあった。神に栄光を全面的に帰一するという使命をもつのだ。その使命を、「神のようになりたい」という己自身に栄光を独占せんとする邪悪な欲望へと、人は「上書き」されてしまった。爾来、人は神のようになることを当然の権利のごとく望み、振る舞うようになった。

  その結果、人は、「神と隣人を憎む」という性質をもつことになった。

 この人間の悲惨から、人類全体を再び、神の被造者、神の子として取り戻したいと神は、願い、独り子なる神をこの世へと受肉させ、世の罪を取り除き、神と人とが本来的な関係性へと、再び新たな創造の道を決断された。この壮大な人間理解に基づく救いの使信=福音を信じる者は、神と父と子の交わりに入れられ,神の国の世継ぎとなる。わたしたちの教会共同体は、この神の子となる約束の共同体である。「生きている者にも、死んでいる者にも、唯一の慰めは、神の独り子なる神、主イエス・キリストのものとなっている」ということなのである。神の目には、先に召された者も、今ここに在る者も同様に、神の子なのだ。

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