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  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年12月8日 №125-49

 「滅びをもたらす異端・偽教師の罪を恐れよ」

ペトロの手紙Ⅱ1章19節~2章3節(P.437)

「変貌の山」での出来事(ルカ9:28~36)はペトロだけの経験ではありませんでした。ヤコブとヨハネが同伴していました。モーセとエリヤと主イエスの三人が、神の栄光に輝いていた事実を、弟子の三人が同時に経験したのです。

 この経験が果たして事実であったかどうかを詮索する精神は、既にその時点で「裁かれて」います。すなわち、「審判」がそこで起きているので、その精神は、神の栄光を「拒否」できてしまえるのです。

 「神の栄光」は、それを「信じるか、信じないかの二者択一」を、選択しているという事なのではなく、その選択を設定してしまう精神が「既に裁かれていることの結果」だという事情なのです。主イエスの「信じない者は既に裁かれている」(ヨハネ3:18)というみ言葉が成就しているのです。

   それでは、わたくしどもは、一体どこで、どのようにして、真正の信仰の対象と偽キリストを見分けることができるのでしょうか。

 本日は偽教師についての警告です。サタンは光の天使を偽装する(Ⅱコリ11:14)と聖書は、みごとに現代の状況を預言しています。

 ペシャワール会の中村哲さんが銃撃に倒れました。殉教だと思いました。昨日付けのNHKのWEBニュースで加藤登紀子さんの中村哲さんとの想い出が紹介されていました。2009年のクリスマスイブに、中村さんに電話をしたときの会話です。

  「『トキさん、僕ね、クリスチャンだよ、実は』とおっしゃったんですね。泣いていたなと、受話器の向こうでね。」と。

   「汝の敵を愛せよ」と十字架上で叫ばれた主イエスは、この叫びを、殺される最中で叫ばれました。机上の空論、局外地・安全地帯で傍観者が語る言葉ではありません。

 中村さんは、「メリー・クリスマス」と加藤さんが軽い気持ち電話口で語る言葉を聴いて、電話の向こうで嗚咽して、しばらくの沈黙ののちに、あの「トキさん、僕ね、クリスチャンだよ、実は」と電話口で嗚咽していたのでしょう。

 中村さんは3・11テロ事件後、ムスリムへの報復の嵐が吹き荒れるなか、「テロリストを爆撃で殺せばいいんだっていう、この答えの出し方は最悪です」と堂々と語り、アフガニスタンへと帰って行かれました。

 彼の人格の中には、キリスト・イエスの「愛敵」の精神が活きて働いていました。

 真正の信仰の対象と偽キリストを見分ける最大の焦点は、「犠牲の愛」、「十字架の愛」、「愛敵の愛」です。

 偽キリスト、偽教師には、見事なほどにこの愛がありません。

 偽キリスト・偽教師は、必ず「自分たちを贖ってくださった主を拒否」します。

 そして、「彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。」

 彼らは「光の天使」を偽装します。うそで固めた「偽りの美談まみれ」の偽キリスト・偽教師に惑わされてはいけません。

 クリスマスにむけて、力に満ちた主の来臨を告げ知らせるにあたり、わたくしどもひとりびとりが、天国に凱旋された中村哲兄弟を偲び、わたしたち自身もまた、それぞれの福音宣教の馳場(はせば)へと向かいましょう。

 家庭、職場、どこでもがわたしたちにとっての馳場です。

 そこで祈り、そこで愛する。

 「主よ、主イエスの魂をわが魂のうちに向かい入れる心ぞなえを与えてください。アーメン。」  

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