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  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年4月風媒花通信創刊号 

     

「 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」  ヨハネによる福音書三章八節


仙台の風は冷たく、身体が慣れなくて、来た頃は就寝時も首巻きをして寝間着の上にさらに一枚就寝用のジャンパーを着ていました。今では、どのタイミングで上着を着るのかようやくコツがつかめてきています。

風は目には見えません。見えないからこそ、いろいろなモノをわたしたちは見ることができます。目には見えないけれども、たしかに存在する風。

神の息吹(風)も、目には見えませんが、見えないからこそ、わたしたちは、その見えない神の息吹によって命を得ています。神の息吹とは、キリストの霊です。キリスト・イエスの霊によって、わたしたちは命を生きているのです。

 どこから吹いてくるのか、わたしたちには知るよしもない神の霊によって。この風(神の息吹)は。わたしたちが知らないあいだに、いつもまにか、わたしたちを生かし、育んでいてくださる。風は、徹してわたしたちの「外」から到来して、わたしたちに影響を及ぼし、そして去ってゆきます。

 風媒花の多くは人目を惹きつけるような華麗さはなく、色も地味で、香りも殆どがないそうです。人に知られること少なく、しかし、確実に風に運ばれ、実を結び、生い育ちます。

 地味で華美でなく、花かどうかすら見分けにくいというところが、わたしには好感がもてます。  わたしも、そんな風媒花のように地味であっても、風に吹かれてどこへでも飛んで行き、行き着く先でどこにでも根を張り、ふさふさとした実りをもたらすような生き方をしたいと思うのです。

 わたしの父母もそのまた父母も、両者ともどもが「引き揚げ者」でした。こころのなかに思い描いてきた主イエスさまの家族も「引き揚げ者」のような体験をされているような気がします。人口調査のための故郷への帰還の途上、宿もないという場面、エジプトへの避難と、帰還。これらの場面は、父母たちが経験してきた満州・中国への移民と敗戦後の「引き揚げ(帰還}」の道程と、いつしか記憶の中で重なりました。人智を超えた神の摂理のなかで、わたしたちの人生も旅から旅へと「風に吹かれて」ゆくのでしょう。

 調べてみたら、わたしの母の遺伝子は、アフリカから中東。シベリアを越えて北から渡来してきた遺伝子でした。何万年もかけてわたしの遺伝子は、もはや知ることはできない旅を続けて、いまのわたしに至ったのかと思うと不思議な気持ちになります。極寒の地を経由していたのに、わたしの寒がりはいったいどういうわけだ?などと思います。でもとにもかくにも神さまが創造された最初の人から、枝分かれしながら、ついにわたしのところにもまでたどり着いた遺伝子。行く先々で、伴侶と出会い、根を張り、子孫を残すという繰り返しをしている最中にいます。この旅のすべてを神の息吹、神の風がいつも吹いていて、その風に吹かれて生きている、そういう思いがいたします。

 神さまは、わたしたちがどこに行っても、必ず「あなたを守る。決して見捨てない」とヤコブに約束してくださったように、約束してくださいました。「風は思いのままに吹く。」この言葉に、わたしは限りない自由を感じます。神の風は神の自由な思いのままに吹くのです。「あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」この言葉から、神の自由な意思について、わたしたちは、何一つ知ることもできない。それでいて、わたしたちは、その限りなく自由な風のように、霊(風)から生まれると言われるのです。神の風(霊)に身を委ね、どこにあっても神の息吹に吹かれ、息吹によって生まれるというのです。

 主よ、あなたの霊でわたしたちを満たしてください。


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