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2019年5月風媒花通信

 恩師小野一郎牧師は故郷大分で庵を結んで礼拝生活を営みつつ伝道しておられます。小野先生は、神学生になったばかりの私に、「あなたが一番好きな聖書の箇所はどこですか?」と尋ねられました。その時に私の心に去来したみことばが、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ一五章一三節)  でした。

  私の青春は、このみことばの理解をめぐって、神さまの試練のなかで翻弄されてきたと言っても言い過ぎではありません。

 みことばは、キリストの肢体なる教会の内で、聴き取られなければならなかったのです。主のみことばは一般的な普遍の倫理でも道徳でもありません。イエス・キリストのみことばです。

 友のために自分の命を捨てる!誰しもが感動しないではいられない行為です。しかしながら、この犠牲的愛の言葉が、「キリストが愛して下さったように、互いに愛し合いなさい」という聖書証言とは別の異なった文脈に置かれ、この世の精神支配に利用されるときに、加害と被害の屍の山を累々と築くことになります。

海(うみ)行(ゆ)かば 水(み)漬(づ)づく屍(かばね)

山(やま)行(ゆ)かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね)

大(おお)君(きみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ

かへりみはせじ

       「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、

       大君(天皇)のお足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」

 愛する父母・妻子のために、愛する山河のために、おのれ一身の命を捧げるという思いをもって、「出征」した若者たちは、自分と同様に家族・故郷を守るために銃を取らざるを得なかった無(む)辜(こ)の若者たちを殺さねばならなりませんでした。そして多くの若者は戦場で飢えて死にました。

 否応なく戦場へと駆り立てられていったキリスト者の若者たちは、主イエスのあの犠牲的愛のみことばをどのように読んだことでしょう。

 人は死なねばならない、選択肢のない状況に置かれるときに、死ぬための大義を渇望することでしょう。自分はなぜここで死なねばならないのか。なぜ、人を殺さねばならないのか、と。

  「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」

このみことばは、主イエスのみことばです。どのような意味でも一般的な倫理に置き換えられてはなりません。この世の君たちは、「愛する祖国のため」と、美辞麗句をもって、「死」についての教説を国家的な規模で喧伝し、「死ぬための教育」を施し、精神支配しようとします。

 そのときに、神のことばがこの世の君に利用される危機に立ちます。

 しかし、忘れてはならないのは、この犠牲の愛は、前節「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 」というキリストの愛との対応においてのみ意味をなすということでなのです。。


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