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  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年6月16日№125-24「かつて生きた人のことばが今も未来にも成就する」 使徒言行録2:22~36(P.215~216)

わたしたちは、「ことば」によって、立ちもすれば倒れもします。一日のはじまりは、夢の終わりから始まります。眠っている間にも、わたしたちの「心」は働き続け、心の深淵の世界で繰り広げられている霊的な生命を営んでいます。

 心の深淵の世界では、人間は遙か遠方の人びとともつながりをもっているだけでなく、過去や未来の人びとともつながっています。

 あるときは、悪魔の誘惑を受け、あるときは天使の加護を受ける。時空を越えた世界で、霊的な闘いをすることもあれば、深い慰めを受けることも。

 イエスの時代を遡ること、千年も前に生きたダビデのことばが、一千年後のイエスの時代に、イエスの死と復活を予言していたという弟子の言葉を多くの人が受け入れ、回心を経験します。この説教を聴いて3000人が一挙に聖霊共同体に加わったのです。

 ダビデという個人に臨んだ神の言葉は、時空を超えて「覚醒」時においても、命を与え続けたのです。「人は神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる。」この主イエスのみ言葉は真実で、信ずるに値します。

 わたしたちの内面に神の言葉が響けば、わたしたちの霊は踊り、復活しますが、悪魔の言葉が内面生活を支配すると、わたしたちの心は暗くなり,鈍くなり、その結果は、わたしたちの良心が本来望んでもいない悪行をしてしまいかねません。内面の言語は、「ものの考え方」として霊的生活に登場します。

 カトリック教会の「霊操」(イグナチオ・ロペス・デ・ロヨラによって創始されたイエズス会の霊性修行)には、わたしたちも学ぶべきものがあります。自分自身の内面を静まって見つめ、神の言葉に集中するということが現代のわたしたちには特に必要になっています。

「あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。 」

 ペトロのこの「思想」=「ものの考え方」は、ダビデの信じた確信が、「今」実現しているという確信です。「かつて生きた人のことばが今、ここで成就している」という確信です。そればかりではなく、ペトロのこの確信は、ペトロの時代から遙か二千年を経過した、わたしたちの「今・ここでも」成就するという確信です。「今においても未来においても」という確信です。

 ダビデの確信はペトロの確信に一千年の時空を超えて、一つの確信として揺るぎなく結びついています。そして、わたしたちが自己の内面を究明し、この確信に完全に結びつくなら、わたしたち自身もまた、時空を超えて、「約束された聖霊を御父から受けて注いでくださり」、わたしたちの生命は復活するのです。

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