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  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年7月7日№125-27 「主の霊が彼を連れ去った。」 使徒言行録第8章26~38節

人が信仰の道へと決断して歩み出す事は、いかにして生起するのか。功利的な目的に信じているフリを、そのつもりがなくともするという場合もあるかもしれない。ムスリムの国で取材するためにムスリムになったというジャーナリストもいる。それが不純だと言いたてるつもりはない。パウロもギリシャ人を救うためにギリシャ人のようになることに躊躇(ためら)いはなかった。伝道することは外形的に、同信の友を増やすことであり、その目的に利するためにあらゆる知恵を動員するのは悪事とは言えないだろう。それでもなお、問いたい。「人が信仰の道へと決断して歩み出す事は、いかにして生起するのか。」

 「神の恵みの福音」は語る。信仰は神の恵みである。人の能力・努力・真心でさえも、信仰の動機となりえない。使徒たちのサマリア伝道で、魔術師シモンの腐った動機を審判したことは、功利性が信仰動機には成り得ないことを証明した。少なくとも、同信の友を得ること(=伝道)には、邪念が入り込むことはあり得ないのである。

 エチオピアの宦官は、ユダヤ教の説く聖書の神を信じており、エルサレムへはるばる礼拝に来て、その帰途に、フィリポに出会う。主の天使がフィリポに命じたことは、福音を語るべき「場」として、人びとの多くいる場を示してはいない。同信の友を得るために大勢の人びとの中に入ってゆくことを、フィリポに指示したのでなく、「寂しい道」を指示したのだ。神が大勢の人に語ることを指示せずに、人里離れた「場」を指示した事実は、信仰の道に人が入るという事柄が、神に導かれ、準備が整えらえた一人の人にこそ語られる時に生起するという事情を示している。

 エチオピアの宦官は、遙か遠方から執務を停止して礼拝に来るほどの信心に「精進」していたが、その実、他ならぬ神の掟によって、神の民の「仲間」となる道を、そもそも阻まれていた存在だった(申命記23:1)。なんという残酷な事情であろうか。

 それにもかかわらず彼は、モーセを通して掟を賜った神を慕って礼拝を捧げに来た。彼は高官で地上での栄達の極みにいたのだが、霊的には孤独で神への深い渇望と絶望のなかで生きていた。このような霊的渇望者を、神は見捨て給わず、むしろ深刻に絶望し、嘆息する魂を、真理を待望する準備された魂へと導いておられていたのである。

 伝道者フィリポは「霊」が語るまま、彼に走り寄る。「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」との声に従う。伝道者は走り寄る。一人の整えられた魂めがけて走り寄る。伝道者のモビリティー(人が社会的活動のために空間的移動をする能力)が示される。宦官が折しも読んでいたのは苦難の僕(イザヤ53章)であった。イエスこそ「苦難の僕」である事を知った宦官は、もはや洗礼を妨げる何ものも存在しないことを直感した。彼は「仲間になる道」を「阻むものが何ものも存在しない」事を知ったからである。フィリポは、即座に彼に洗礼を授ける。宦官が水から上がると、「主の霊」はフィリポを連れ去った。宦官は人によって生まれ変わったのではなく、神によって生まれ変わったのだ。その後の宦官は、いかなる道を進んだのか。「喜びにあふれて旅を続けた」とあることだけは、確かである。

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