検索
  • 日本基督教団 仙台東教会

2019年9月風媒花通信9月

マタイ 5:41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。                         (新共同訳)

マタイ 5:41 若有人强爾行一里、則偕之行二里 (漢訳聖書)

 倶に行く二里

夕拝がまさに始まろうという時、ブザーが鳴った。玄関から応対する声が聞こえる。なにやらしどろもどろ声であった。物乞いであった。教会にはしばしば来訪するので珍しくはないが、大抵は時間をかけて聴き、一食と交通費と銭湯代、下着、替え着などを渡すことが多い。多すぎる金品を渡すことは本人の自立心を奪い、依存心をもたせるのでよくない、ということは分かっていた。

 わかっていたはずだが、礼拝まで30分しかない。わたしは判断を誤った。

 北海道で置き引きにあって、有り金を無くしてしまったので、交番、社会福祉協議会を頼りに、500円と次の駅までの交通費を借りながら、仙台まで辿り着いたという。四国高松までそうやって帰るのだという。

 途中自暴自棄になって自殺未遂もしたが、死にきれなかったというのだ。

 (高松まで帰るのか。)わたしは解決を急いでしまった。礼拝には既に来ている人がいる。即座に、長距離バスを検索していた。

 乗車票、乗り継ぎ方法(乗車場、降車場の案内図)を印字し、食費や替え着を渡し、礼拝後は、深夜のファミレスまで送った。

 「明日午後8時には必ずバスに乗ってください。明後日には高松に着きます。」

 わたしたちにとって、このような出費は決して小さい金額ではない。しかし、(これは神さまへの献金だ。)と思い直し、ときに不安な思いがよぎるのを遮るように、「倶に行く二里、倶に行く二里」と、自分自身に言い聞かせるように繰り返していた。

 翌日、(彼は無事バスに乗れただろうか。)祈るような思いで、出発時を過ごした。

 翌々日、昼過ぎ、着信があったので、かけ直すと、「牧師さんですか。警察の者です。」「そうですが、何か?」

 「○○さんですが、バスに乗り遅れたようです。今からでもキャンセルできますか?「えっ!」絶句した。「乗り遅れてからはキャンセルできるはずはありません。どうしたんですか?」

 「○○さんはいただいたお金で酒を飲んで暴れ、トラブルを起こしたので警察が『保護』したのです。」・・・・・・しばらく、言葉が出なかった。

 「よきサマリア人」を気取って、「天に宝」を積んだつもりでいた自分の浅はかさを悔いた。金銭を渡し、便宜をはかり、「親切」にすることで、彼は、その「善意の行為」を彼自身の徳のために用いるどころか、「犯罪者」となってしまったのだ。コンビニで何をしでかしたのかは聞かない。ただ警察に通報されて「逮捕」されたことは確かであろう。

 時に、過剰な親切は不適切な「親切」と結果としてなる。

 経験則でそれはわかっていた。しかし、わたしは「礼拝ヘの道」を急ぐあまりに、あの祭司やレビ人のごとく、実は傷ついた旅人を避けて通ったのではなかろうか。早く解決してしまいたい。わたしはあの時、確かに急いでいた。「教会に泊めてほしい」と言われ、「教会は無料宿泊所ではないからそれはできない」と冷徹に断る勇気を避けたのだ。たしかにそれは「正論」であるから躊躇うことなく言わねばならなかった。しかし、その勇気がなく、急ぐ気持ちから安易な道を選んでしまったのであった。

 ではあのとき、わたしはどうすればよかったのか。正解はおそらくは、無い。人の善意に報いることができず罪を犯すほど弱い彼にどうしたらよかったのか。彼の「隣人となる」には、どうしたらよかったのか。主イエスのみ心を聴きたいと祈るや切にである。 


0回の閲覧

© 2019 by Sendaihigashi Church. all rights preserved.