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2019年8月25日№125-34 「時のあいだを生きるということ」 ルカによる福音書12章35節~48節

 主イエスの戒めは厳しい。現実には為しがたい命令である。

 時のあいだを生きている神の民の日々の心づもりについての比喩だ。

 「義認論」をこの比喩から読み取る。

 「時のあいだ」とは、今という「時」は、主イエス昇天のかの「時」と主イエス再臨の来たるべき「時」の「あいだ」の「今」であるから、わたくしどもが生きる「今」とは、どの「今」であっても、かの「時」とあの来たるべき「時」のあいだの「今」なのである。

 この「今という時」を「いかに生きるか」という心づもり、覚悟について、主は比喩をもって命じている。

 「腰に帯をしめ」ることは、いつでも旅立つ旅支度である。これは即座に主の命じるままに躊躇うことなく動く「用意」である。アスリートは位置についていなければスタートすることはできない。この位置につくという緊張の「今」をスタンバイしていことが要求されている。「ともし火をともしていなさい」 も同様である。これはその「時」が暗闇の深夜であってもスタンバイしていなければならないというのだ。いつでもいかなる状況でもという意味になる。

 「主人が婚宴から帰ってきて戸をたたく時」とは主イエスの再臨の時だ。この時は、神の民が神の支配即ち神の(天)の国へと招き入れられる時を意味するが、同時にそれは審判の時を意味する。審判は誰しも避けられない。主イエスの十字架の贖いの恵みなしには、この審判に誰も耐え得ない。

 誰一人として、眠らずにあの主の厳しい命令に耐え得る者はいない。いないが、それでも主の命令は命令だ。守らねばならない。眠らずに、いついかなる状況でも旅立つ用意をしなければならない。しかし、それは誰一人として守り切れる者はいない。「一人もいない」・・・この認識は重要だ。「義人はいない。ひとりもいない。」(ロマ3:10)

 「主人は帯を締めて、この僕たちを席につかせ、そばに来て給仕してくれる。」この主人は帯を締めて、つまり主人もまた旅支度をして僕たちに給仕をするという。僕たち(神の民)は、主人を迎えるために眠らずに待っていなければならないはずなのだから、給仕をするのは僕たちの筈なのに、何故、主人の方が給仕するのであろうか。何故旅支度をあえてするのであろうか。帰宅したら旅支度を解いて寛ぐべきところを、何故旅支度をするのか。

 主イエスが弟子の足を洗ったという生前のイエスの振る舞いを想起しないではおれない。そうであれば、主の再臨の時に、主イエスは、僕たちが受けるべき審判を既に受けられた者(代贖者)として「僕の僕」となって(給仕して)、神の国へと伴いたもうということでなければならない。主人が「僕の僕」となって神の国へと旅立つ「今」を迎えるために、「用意」しておくべきことを主イエスは悟らせようとされる。

 後半の比喩は、事柄が倫理の次元に入る。「間の時」即ちわたくしども個々の人生において、神からの「委任」・「使命」・「責任」が内容となる。「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

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